更新日: 2014/05/26
たまたま某所で柳家喬太郎の コロッケそば 時そばを見かけて、ディアゴスティーニの「落語百選 DVDコレクション」[de-club.net]で喬太郎師匠が出ているのを買ってみたり。
で、その中に粗忽長屋[de-club.net]があったわけです。個人的にサゲが強烈でした。全然笑えなかったんですよ。「抱かれているのは確かに俺だが、抱いている俺はいったい誰だろう」なんて、lain観てるワシとしては深刻な場面で何度も聞かされているわけですよ。こんなサゲありかよと、粗忽モノってすごすぎとか思ってしまったのです。
で、どうやら立川流では粗忽長屋を主観長屋(*1)と呼んでいるらしいのです。あの熊さんと兄貴は、主観が過ぎるからあんな言動になってしまうとのこと。
個人的にはそーなのかなー、よーわからんと思っていたところ、serial experiments lainが「玲音自身の主観の影響下にある構造である」[wikipedia.org]なんて記述があるじゃないですか。確かにそんなの念頭にlainを観ると訳わからん映像もわかってくるんですけどね。客観がなくなると、identifyができなくなるという同じ状況なんでしょうかね、粗忽長屋とserial experiments lainは。ワシにはよーわからん。
ジュンク堂大宮店で買ってきました。何故かBEAMコミックが「サブカルチャーコミック」とか訳わからん分類になっていたので、探すのに時間がかかりましたよ。
それよりも放蕩息子になっていなかったのはなにより。
ああ、やっぱり志村貴子は戦線の最前線にいる人だわ。いい感じにエグイです。
女装して登校するって、中学だとシャレにならんんだろうなぁ。高校・大学だとまだシャレになるのかも知れんが(ほんとか?)。というか、あれか。祭りの時に女装してもそれは別に笑い飛ばせるんだろうけど、日常でやっちまうのはやはりよろしくないのか。
二鳥君放浪気味ですな。やっとコミックのタイトルに沿ってきたよ。違うか?