更新日: 2014/05/26
これも電車の中で涙目になりながら読んでいました。
立川談春『赤めだか』に、談春らの二つ目昇進披露の様子が描写されているのですが、そこで談志が挨拶しています。そこには以下のようなくだりがあります。
そして、最後に己の人生と己の語る作品がどこでフィットするか、この問題にぶつかってくると思います。
「おちけん」に出てくる加藤は、「子は鎹」と向き合い、そして自分の人生、とまではいかないまでも自分の中にある寂しさと向き合う、ということをしています。そしてそんな作業を大学生の時からやっているのです。
役者さんも作品を通して自分の人生に向き合う機会というのはあると思うのですが、脚本ってやはり巡り合わせもあるのでなかなかそんないい作品に巡り会えないこともあるのかも知れません。それに対して古典落語、特に人情話って、そーゆーところが魅力的なんだと思うんですよね。長い間残っている噺だけあるので、誰かのどこかの琴線に触れる話というのはきっとあるし、同じ話でも長い間つきあっていく間にいろいろ感じ方も変わっていくだろうし。
大会で加藤が「子は鎹」をやった後泣いているのですが、加藤の泣き顔は我々読者からは見えない構図になっています。そこはさすがに読者諸兄よ想像してくれと言うことなのでしょう。素敵なホラを吹いて、でも現実に戻れば何一つ寂しさは解決していないし、自分はちっとも二人の鎹にもなってないじゃないかという涙だと考えてもいいかもしれません。でもワシは、噺と、自分の中にある寂しさとしっかり向き合ったその涙だと思いたい。だってその後の新歓では、加藤はちゃんと人前で「長屋の花見」やっているんだもん。やってきた新入生にちゃんと貧乏長屋ご一行が花見に行く風景を、その語りで見せているんだもん。
そーゆー意味で、加藤にとって落語はとってもすばらしいものだと思うし、落語で人生が変わったと言っても過言ではないと思う。ワシは他の少女漫画で行動原理を小さい頃の家庭環境に求めるのは飽き飽きしているのですが、加藤はそれと向き合い、確実に一歩踏み出している。そこが決定的な違い。とってもかっこいいと思うし、応援したくなるわけです。
そのほか。
や、ずいぶん前の8/5なんですが。
花緑が厩火事やってました。なんで厩火事なのか、婚約者とけんかでもしたのかとか邪推しながら聴いてましたよ。旦那の芝居は良かったよ。でもあの髪結いの芝居は所々どうかと。首ひねってたら花緑と目が合ってしまった...ちと気まずかったですよ。
ほか、金馬じゃなくて金原亭伯楽師匠が来てました。猫の皿やってました。猫の皿って話自体は、なんの展開もなくあっさり終わってつまんねーなのですが、冒頭の煙管のシーンはしっかり見せてくれました。いいっすね。
圓太郎は初めて聴いた。悪いわけではないんだろうけど、個人的にあまり好きじゃない根多をかけていたので、あまりいい印象じゃないです。おもしろかったのは歌武蔵。普通にうまい。古典聴いてみたいな。